HOME > 広尾 晃の気まぐれ寺ばなし > 第44回 青年期の空海は何をしていたか
広尾 晃の気まぐれ寺ばなし
第44回 青年期の空海は何をしていたか
19歳でエリート官僚の道を棄ててから30歳で遣唐使の一行に加わるまで、
空海は何をしていたのか?
これは今に至るも大きな謎です。
恐らく奈良や近畿地方の大きな寺院に収められた経典類を読み漁ったことでしょう。
また、各地の高僧の謦咳に接して教えを受けたかもしれません。
空海は24歳のときに、エリートの道を外れる息子に対して怒る父佐伯直田公を鎮めるとともに、
出家宣言をするために『聾瞽指帰(ろうこしいき)』という著作を書きます。
『聾瞽指帰』は、のちに整理され、『三教指帰(さんごうしいき)』という作品にまとまります
(直筆の原稿が現存している)。
この著作は仏教、儒教、道教という3つの教えを比較して、その優劣を論じたものです。
戯曲風でユーモラスな内容も含まれています。
空海は、20代ですでに仏教と他の宗教との関連性に着目していたのです。
東京大学の義江彰夫名誉教授は、この時期、空海は各地の山野をめぐり神社を訪れては、
神仏習合を推し進めていたのではないか、神宮寺を創建していたのではないか、
と推測されています。
つまり13で紹介した満願が行った事業を継承していたというのです。
確かに現在も全国各地の神社や寺院に空海にまつわる伝承が伝えられています。
これまではその多くは後世の高野聖が広めたものだ、とされてきましたが、
当の空海が実際にかかわったケースもあったのではないか、ということです。
空海の伝承の中には日本の神との交流もいくつか残されています。
密教の秘法と神道を融合させるだけの理論も法力ももっていたのかもしれません。
あるいは、空海は90歳を過ぎても活動をしたと言われる満願とどこかで出会ったのかもしれません。
空海が神仏習合という日本独自の宗教のあり方に深くかかわっていたのは、間違いないのではないでしょうか。
空海が学んだ寺の一つとされる久米寺(奈良県橿原市)
プロフィール
広尾 晃(ひろお・こう)
1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライター、プランナー、ライターとして活躍中。日米の野球記録を専門に取りあげるブログサイト「野球の記録で話したい」でライブドア奨学金受賞。スポーツ専門テレビ局「J SPORTS」でプロ野球番組のコメンテーターも務めている。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『プロ野球なんでもランキング』、『プロ野球解説者を解説する』(以上、イースト・プレス刊)など。
メディアイランド刊『ふつうのお寺の歩き方』
全国書店やネット書店で絶賛発売中 ↓↓↓
http://www.mediaisland.co.jp/item2/item240.html
http://www.amazon.co.jp/ふつうのお寺の歩き方-広尾-晃/dp/4904678745