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広尾 晃の気まぐれ寺ばなし

第29回 仏門に入る神々

天平宝字7(763)年、三重県北部の多度大社の大神が、人に憑依して下のような託宣をしました。


第29回_託宣_中.jpg


「私は多度の大神である。私は久しい年月を経て重い罪を犯し、報いを受けている。

この上は、永遠に神の身を離れるために、仏教に帰依したい」



何と神様が、自分の罪科を悔いて仏門に入るというのです。

多度大社と言えば、皇室の祖神である伊勢神宮とのかかわりも深い由緒ある神社です。

この神が"神としてやっていくことに自信を失い"仏に帰依したというのです。



多度大社だけではありません。

この少し前には常陸国の鹿島大神も同様の悩みを訴えて仏教に帰依しています。

これは何を意味しているのでしょうか?



大宝元(701)年に大宝律令が制定され、日本は律令制度によって整備されます。

税制面では租庸調という基本的な税が定められます。

前回にも紹介しましたが、神社は祖を徴税する機関にもなりました。

また、国、郡、里などの地方官å制が敷かれ、豪族たちは地方官として土地を統べることとなりました。

豪族にとって、神社は統治の上で重要な役割を果たしたのです。



しかしながら、聖武天皇の鎮護国家を旨とする仏教布教によって、

地域には国分寺国分尼寺をはじめとする寺院が建ちはじめ、人々の関心は寺院へと向かいます。

神社は権威を失い、成り立ちがたくなっていったのです。

この事実に苦慮した地方豪族が、神社の存続を願うために、寺院に協力を依頼しました。

多度大社や鹿島大神などに残る「神の仏教帰依」の話の実態は、恐らくこうしたものではなかったでしょうか。



神社の神官は仏教に帰依しました。

また、神社の境内や隣接する土地などには「神宮寺」という寺が建てられ、僧侶が住みました。

神社の運営は神宮寺の僧侶にゆだねられました。

平安時代に入ると、渡来人に由来するとされる賀茂大社や若狭彦大神なども含め、

多くの寺院が同様の発心をして仏教に帰依します。



日本独特の現象である神仏習合は、こういう形で進んだようです。


第29回013-1中.jpg

多度大社


プロフィール

広尾 晃(ひろお・こう)

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライター、プランナー、ライターとして活躍中。日米の野球記録を専門に取りあげるブログサイト「野球の記録で話したい」でライブドア奨学金受賞。スポーツ専門テレビ局「J SPORTS」でプロ野球番組のコメンテーターも務めている。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『プロ野球なんでもランキング』、『プロ野球解説者を解説する』(以上、イースト・プレス刊)など。

 

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