HOME > 広尾 晃の気まぐれ寺ばなし > 第23回 全国に寺院を!
広尾 晃の気まぐれ寺ばなし
第23回 全国に寺院を!
こうして亡き基皇子のために金鐘寺を建立された聖武天皇、光明皇后夫妻でしたが、
うち続く政治の混乱を見るにつけ、仏教によって国家の安定を得たいと強く願うようになりました。
そこで聖武天皇は、全国に仏教を広めようと決意されます。
すでに西国を中心とする各地には、豪族などによる氏寺が建立されていました。
しかし、国家の管理する寺院=官寺は、中央にしかありませんでした。
8世紀前半の時点での官寺には、
四天王寺、大官大寺、弘福寺、元興寺、薬師寺などがありましたが、
これらの寺院は国家の経済的庇護を受けていたとはいえ、
その役割や位置づけは明確ではありませんでした。
聖武天皇は、仏教によって日本を治める=鎮護国家の考え方に基づいて、
全国に仏教を広めようと決意されたのです。
まず天平9(737)年に、全国に釈迦三尊像を造り、大般若経を写すように命じます。
続いて天平12(740)年には七重の塔を建築し、法華経10部を写すよう命じます。
さらに天平13(741)年に国分寺建立の詔を出されました。
全国に国分寺と国分尼寺をおき、
国分寺には僧20人、国分尼寺には尼僧10人を置くことが定められたのです。
これによって、仏教は本格的に全国に広がりました。
各国は、国府の近くに国分寺国分尼寺を建立しました。
一から建築した地域もありましたが、
すでにあった有力豪族の氏寺を国分寺にした国もあったようです。
現在も国分寺、国分という地名が全国に見られますが、
これは国分寺の所在地だったことを表しています。
また、国分寺という寺院も数多く存在します。
たとえば、四国八十八か所の寺院の中には、阿波、土佐、伊予、讃岐の四つの国分寺が含まれます。いずれの寺院も「聖武天皇勅願」を掲げています。
時代の風雪に耐え、紆余曲折を経て聖武天皇の鎮護国家の願いは、
1260年後の現在も生き続けているのです。
今も残る武蔵国分寺 東京都
プロフィール
広尾 晃(ひろお・こう)
1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライター、プランナー、ライターとして活躍中。日米の野球記録を専門に取りあげるブログサイト「野球の記録で話したい」でライブドア奨学金受賞。スポーツ専門テレビ局「J SPORTS」でプロ野球番組のコメンテーターも務めている。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『プロ野球なんでもランキング』、『プロ野球解説者を解説する』(以上、イースト・プレス刊)など。
メディアイランド刊『ふつうのお寺の歩き方』
全国書店やネット書店で絶賛発売中 ↓↓↓
http://www.mediaisland.co.jp/item2/item240.html
http://www.amazon.co.jp/ふつうのお寺の歩き方-広尾-晃/dp/4904678745