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広尾 晃の気まぐれ寺ばなし

第12回 上宮王家というもう一つの皇族

用明天皇の皇子であり、能力人格ともに並ぶものがなかった聖徳太子が

天皇にならなかったのは、日本史上の謎とされています。



ただ、用明天皇の後に即位した弟(太子の叔父)の崇峻天皇は在位5年で、

叔父に当たる蘇我馬子に暗殺されています。

そのあとに崇峻の妹、太子の叔母の推古天皇が即位します。

当時の朝廷は蘇我馬子と聖徳太子が実権を二分していたといわれます。

その微妙なバランスを維持するために、太子は帝位につかなかったのかもしれません。



聖徳太子とその兄弟や子供たちは、他の皇族とはあまり交わらず、

朝廷内で独自の勢力を築くようになります。

後年「上宮王家」と呼ばれるこの一族は、

太子の没後も政治的勢力を保ち続けますが、次第に蘇我氏と対立し、

山背大兄王(聖徳太子の子と言われる)のときに、滅ばされます。



643年、聖徳太子没後21年目のことでした。上

宮王家は、斑鳩寺で、山背大兄王一族以下一族100人以上が縊死したといわれています。

ここに聖徳太子の血流は完全に断たれました。



聖徳太子は、果てしなく続いた政争に嫌気がさし、

仏法による理想の社会を建設しようとしました。

しかし、現実は太子の思いとはかけ離れていきます。

晩年の太子は政治の世界からも遠ざかっていたといわれますが、

あるいは太子は自らの一族「上宮王家」とともに、

仏教三昧の理想郷を作ろうとしたのかもしれません。


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聖徳太子の墓がある大阪府南河内郡太子町の叡福寺

プロフィール

広尾 晃(ひろお・こう)

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライター、プランナー、ライターとして活躍中。日米の野球記録を専門に取りあげるブログサイト「野球の記録で話したい」でライブドア奨学金受賞。スポーツ専門テレビ局「J SPORTS」でプロ野球番組のコメンテーターも務めている。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『プロ野球なんでもランキング』、『プロ野球解説者を解説する』(以上、イースト・プレス刊)など。

 

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