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広尾 晃の気まぐれ寺ばなし

第1回 寺、古きが故に貴からず

こんにち広尾晃(ひろお・こう)と申します。ライターです。今は野球関係の者をよく書いていますが、もともとはコピーライターで、医療から福祉、グルメまでいろいろ書いてきました。
40の声を聴くころから仕事がきっかけで、お寺に興味を持ち始めました。

 

そして「有名寺院だけでなく、あらゆるお寺を回りたい」と思い立ち、十数年、全国各地のお寺を見て回りました。
お寺の数は全国に、7万7千もあると言われていますが、そのうち2万5千か寺ほどは見て回ったと思います。
これだけやっても飽きません。お寺は奥が深いし、いろいろな楽しみ方ができます。
そのことについて、本を書きました。
『ふつうのお寺の歩き方』
12月発売です。ぜひ、手に取ってください。

 

お寺を回ってみてしみじみ思うのは、「良いお寺」とは、「時代のあるお寺」「格が高いお寺」ではないということです。
「山、高きが故に貴からず」という言葉がありますが、その伝で言えば
「寺、古きが故に貴からず」とでも言いましょうか。

 

「奈良時代創建」とか「弘法大師ゆかり」などなど、由緒があることを紹介しているお寺はたくさんありますが、その中身はいろいろ。
具体的には申しませんが、「これはいかがなものか」と思うお寺もたくさんあります。

 

では、どんなお寺が良いお寺なのか。
それは、「人の手がさりげなく入っているお寺」だと思います。

 

例えば、庭に箒の目が入っている。
きれいに剪定された植え込みに、少しだけ季節の花が残されている。
ご本尊の前に、灯明がともっている。
線香の淡い香華がただよっている。

 

お寺と神社はよく似たたたずまいをしています。しかしお寺は仏さまがおわすところ。神社は神さまがいますところ。
仏さまは、人偏がつくことでもわかるように、もとは人でした。修行の末に仏になるまでは、生身の人間だったのです。

 

その仏を安置するお寺は、人間が守り、伝えるもの。だから、お寺には「人の手」「人の気配り」が必要なのだと思います。

 

小さなお庭であっても「人の手」を感じれば、私たちは「お寺の心」を感じることができます。
名前や、格式にとらわれることなく、こういうお寺の良さを感じていただければ、と思っています。

 

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滋賀県甲賀市正福寺

プロフィール

広尾 晃(ひろお・こう)

1959年大阪市生まれ。立命館大学卒業。コピーライター、プランナー、ライターとして活躍中。日米の野球記録を専門に取りあげるブログサイト「野球の記録で話したい」でライブドア奨学金受賞。スポーツ専門テレビ局「J SPORTS」でプロ野球番組のコメンテーターも務めている。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『プロ野球なんでもランキング』、『プロ野球解説者を解説する』(以上、イースト・プレス刊)など。

 

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