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本読みのための 大阪まちある記 〜活字メディア探訪
第8回 芝居と出版のメディアミックス(2) 歌舞伎スターを描いた道頓堀の浮世絵文化(後編)
大阪の出版社から盛んに版行された役者絵(役者を描いた浮世絵)の舞台を追って、芝居の街・道頓堀を巡った後編です。
浮世絵を売る本屋
新旧の道頓堀名物を掛け合わせた「中座くいだおれビル」からさらに戎(えびす)橋方面へと歩を進めると、道頓堀の一等地、かに道楽本店の向かい側がユニークな書店になっている。
「ミナミで一番エンターテイメントな本屋さん」とうたったTSUTAYA EBISUBASHI。まるで舞台を中心に客席を取り囲んだ劇場みたいに、ここではカフェを中心に斬新なディスプレイで本や雑誌がずらりと陳列されている。
1階入り口近くには、客寄せの役割を果たしているのだろうジャニーズコーナー。アイドルグループ嵐を表紙にした雑誌が壁一面に飾られていた。
本屋の向かい側には、かに道楽のカニ看板が見える。
歌舞伎役者から歌って踊れるアイドルへ。時代の移り変わりを体感しながら地下一階へ降りていくと、今度は古き日本を求める外国人観光客をターゲットにしているのだろうか。浮世絵の絵はがきが、ポストカードラックにずらりと並んで売られていた。
ここ道頓堀ならではの浮世絵出版文化の面影を追いつつ、ふらりと訪れた本屋には、面影どころか今でもちゃんと、現代の印刷技術で刷られた浮世絵が販売されているのだった。
しかし、ここにあるのは全てが江戸の浮世絵である。それもそのはず、私たちが浮世絵から連想するのは、北斎の富士山や波の絵(富嶽三十六景)、写楽の役者絵、広重の東海道五十三次といった、江戸の絵師が描いて江戸の出版社から版行された浮世絵が全てなのだ。
1枚150円。私たちにも馴染みの絵柄ばかりだ。
江戸で北斎や写楽らの浮世絵師が活躍した化政時代(文化・文政期を中心に町人文化が栄えた江戸時代後期の総称)を中心に、大阪の出版社からも数多くの浮世絵が版行された。そして上方(京都と大阪)では江戸時代、現在の研究で分かっている限りでも240人余りの絵師が活躍し、道頓堀に歩いて通えるこの界隈に、大勢の絵師が住み着いた。
それにも関わらず、上方の浮世絵は今となっては作者はおろか、上方に浮世絵の文化があったことすら一般にはほとんど知られていない。その事実だけを踏まえると、上方の浮世絵は大したことがなかったのではないかと思いがちだ。
しかし、それらは決して作品として劣っていた訳ではない。道頓堀の芝居を題材にした役者絵の多くは、その後、海を渡って、ヨーロッパやアメリカへ。日本を通り越して、海外で高く評価されている。
浮世小路から上方浮世絵館へ
では、大阪の絵師の手により大阪の出版社から版行された役者絵は、身近なところで目に触れることはできないのだろうか。実は、道頓堀の散策がてら、ここでは'本物'にお目にかかることができてしまうのだ。
繁華街の喧騒から逃れるように、道頓堀裏手の法善寺方面へ。道頓堀が芝居街として栄えていた時期に茶屋として開業した「道頓堀今井」(現在はうどん店)の脇から先、何やら怪しげな路地が延びている。
江戸から昭和初期の道頓堀界隈をハリボテで演出した、ミュージアム仕立ての浮世小路(しょうじ)。細かな解説がないので、一つ一つの展示物を理解するにはそれなりの知識を要するものの、雰囲気を味わうだけでも十分に楽しめる。そしてここでは、無造作に貼られた昔の絵図や写真などから、芝居街として栄えた道頓堀の様子を知ることができる。
浮世小路の入口(道頓堀側)付近。道頓堀と法善寺をつなぐ抜け道なので、もちろん通り抜け無料だ。
浮世小路を抜けて、さらに突き当たりの法善寺横丁を通り抜けると、織田作之助の小説『夫婦善哉』の舞台としても知られる法善寺にたどり着く。その脇にあるのが、役者絵柄の猫が目印の上方浮世絵館だ。
役者絵柄の猫が目印の上方浮世絵館。
上方浮世絵館は、館長の高野征子さんが個人で収集した上方の浮世絵(役者絵)を専門に展示している私設の美術館である。
「世界で唯一の上方浮世絵を常設展示する美術館として、上方の歌舞伎や浮世絵にゆかりの深い、大阪道頓堀 法善寺の門前に2001年4月28日にオープンいたしました」
公式ホームページには、道頓堀と浮世絵の関係がこのように記されている。
確かに浮世絵の舞台になっている多くは道頓堀だけれど、そもそも浮世絵って、美術作品というより芝居や役者を取材源とした出版物ではないのか。
この美術館の存在を知ってそう解釈した私は、自分なりに浮世絵の知識を仕入れつつ、船乗り込みのルートで東横堀川から道頓堀に入って、芝居街の主だったところをひととおり歩いて、最後に答え合わせをするつもりでここに来た。
入館料500円。窓口でチケットを受け取ると、そこに印刷された浮世絵は、偶然にもあの船乗り込みの場面なのだった。私が前回(第7回)の冒頭に記した江戸時代末の船乗り込みの再現は、このチケットに描かれた浮世絵がもとになっている(館内には同じ絵柄のクリアファイルまで売られている)。その絵の背景や歴史的考察は、上方浮世絵研究の第一人者、松平進氏の著書『上方浮世絵の再発見』に詳しい。
船乗り込みの場面を描いた入館チケット(中央)と芝居場面の絵はがき。
上方浮世絵の基礎知識
ここで美術館での解説をもとに、上方の浮世絵について、簡単に触れておこう。
一.上方の浮世絵は、その大部分が芝居や歌舞伎役者を描いた役者絵である。
一.上方の浮世絵は、江戸から遅れをとるかたちで文化・文政頃(1800年代前半)に隆盛期を迎え、明治20年頃まで作られていた。
一.江戸の役者絵が「すっきりとした画風」かつ「鋭さを感じさせる」のに対し、上方は「実写的で重厚な画風」を特徴とする。
そこに出版的視点を加えると、役者絵は誰もが気軽に手に入れることのできる、庶民向けの出版物だった。大阪で生産された役者絵であれば、その多くは大阪の本屋で販売された。その証拠に、絵には作者だけでなく、出版社の印(しるし)が付いている。
しかし、美術作品として額に入れられ展示された役者絵の数々を見ていると、新たな疑問がわいてくる。これらの絵はいったいどのようなパッケージで本屋で販売されていたのだろうか。
浮世絵というと現在は一枚の絵として提示されることがほとんどのため、ブロマイドのように売られていたのではと思いがちだが、実は当初は役者絵を何枚も重ね合わせた絵本としての販売が主で、その後一枚摺りも販売されるようになったのだという。
現在でもイラストの使用箇所は出版物であれば表紙や挿絵、絵本に作品集にポストカードと多岐に渡っているように、役者絵もまた、芝居の配役や内容を絵で示した芝居絵尽し(絵本番付)の表紙であったり、包み紙(袋)であったり、広報物であったり、時代の流行に応じて多様な出版物に用いられていた。
館長の高野さんは自らの浮世絵コレクションを「(元々は)本になっていたのでは」と推測するが、一枚の絵ごとに板に彫って版画にしていた浮世絵は、どんな組み合わせて売られていたのか、判断するのは難しい。冊子としての浮世絵も、ばらしてしまえば一枚の絵画。こうして美術館に飾られる運命だってあり得るのだ。
関連資料が収蔵・展示された美術館の休憩室では、木版画に紙を当てて版を刷る、浮世絵の摺り工程の様子を映像で見ることができる(予約制で浮世絵摺りの体験教室も行っている)。
最後は1階のミュージアムショップへ。ここは無料で立ち入ることができ、道頓堀のTSUTAYA同様、店内には様々な絵柄の浮世絵はがきも売られている。
江戸の有名どころと違って、ここにあるのは馴染みのない絵柄ばかり。それもそのはず、ここにあるのは正真正銘、上方の浮世絵(役者絵)なのである。
1枚100円。江戸時代の人と同じ大阪土産(いわば大阪産の出版物)を、こんなにも手軽に、道頓堀の散策帰りに手に入れることができてしまうのだ。大阪の絵師と出版業界が生みだした、隠れたロングセラーである。
参考文献
松平進『上方浮世絵の再発見』(講談社)1999
大阪市立住まいのミュージアム編『上方役者絵の世界―芝居都市・大坂―』(大阪市立住まいのミュージアム)2001
松平進『上方浮世絵の世界』(和泉書院)2000
栗本智代『カリスマ案内人と行く 大阪まち歩き』(創元社)2013
プロフィール
ノンフィクション作家。1983年生まれ。神奈川県平塚市出身、大阪市在住。
学生時代、全都道府県120地域以上の古い町並みをまわり、京都、奈良を中心にさまざまな町並み保存活動や建築物の記録活動に携わる。出版社勤務を経てフリーランスに。
電信柱の突き出た不思議な家と97歳ミドリさんの秘密を追ったデビュー作
『ミドリさんとカラクリ屋敷』が第8回開高鍵ノンフィクション賞の次点に。
今年5月に文庫版(http://www.amazon.co.jp/dp/4087453200)が集英社文庫より刊行された。
共著『次の本へ』。ブログhttp://karakuri-h.seesaa.net/