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メディアイランド編集部ブログ

2016年01月28日 加納莞蕾のことが朝日新聞の記事に出ました。

朝日新聞の夕刊に大きく出ました。叔母とキリノ大統領の孫娘さんたちとの出会い。

 

朝日新聞1月28日夕刊より
(大阪本社版 1面)
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天皇、皇后両陛下が訪問中のフィリピン。戦後間もないころ、当時のエルピディオ・キリノ大統領(1890-1956)は、収容していた日本人のBC級戦犯全員を特赦した。両陛下は28日、キリノ大統領の孫娘ルビーさん(62)らと懇談する。この対面を特別な思いで見守る人がいる。

 

比大統領へ「戦犯に許しを」 特赦の陰に200通の手紙

 

特赦の4年前から戦犯の釈放を求める200通超の手紙をキリノ氏らに送り続けた島根の画家、加納莞蕾(かんらい)(1904-77)。娘の佳世子さん(71)=島根県安来市=は「フィリピンでの戦争に対する陛下の真摯(しんし)な思いを感じます」と話す。

 

莞蕾は戦犯を許すことが「日本人が過去を反省し、懺悔(ざんげ)し、軍国主義を拒否することになる」と訴えた。佳世子さんは昨年からルビーさんとメールをやりとりするようになり、昨年11月にはキリノ氏の出身地ビガンで開かれた生誕125周年の式典に招かれた。

 

ログイン前の続き響く銃声。逃げ惑う母の手から投げ出された娘を銃剣で襲う日本兵――。式典では、マニラ市街戦で妻子4人を亡くしたキリノ氏の生涯を描くミュージカルが披露された。「これが日本の犯した罪なのだと改めて思った」と佳世子さん。

 

キリノ氏は国交正常化前の53年7月、「日本人に私から憎悪の念を受け継がせない」とする声明を出し、100人超の戦犯全員を特赦した。ルビーさんは佳世子さんに、当時のフィリピンでは「傷は癒えていない」と反対があったと明かし、加えた。「それでも、祖父は日本人と平和的な関係を持つべきだと考えた。今も私はその思いを受け継いでいます」

 

佳世子さんは両陛下の訪問に期待を寄せる。「未来の平和に向けて大統領が決断した意味を、私たちも改めてかみしめたい」

 

一方、特赦によって帰国した京都府与謝野町の宮本正二さん(94)は、「家族を殺した敵国の戦犯を許したのは立派だ」と話す。

 

宮本さんは住民を殺害したとして死刑判決を受け、モンテンルパの刑務所で処刑を待つ日々を過ごした。仲間が処刑された日は「見送る言葉が見つからなかった」。聖書を読み、キリスト教の洗礼を受けた。

 

過酷な体験を強いられた戦争を憎む。「軍隊では普通の人が殺人者になり、それが手柄になる」。両陛下のフィリピン訪問については「慰霊というけじめをつけることはいいことだと思う」と語った。(小早川遥平、藤崎昌彦)

 

 

〈フィリピンのBC級戦犯裁判〉 山下奉文陸軍大将らが裁かれた米軍マニラ裁判をフィリピン政府が引き継いだ。広島市立大の永井均准教授の研究では、47年8月?49年12月に151人が裁かれた。民間人殺害や性暴力などの重大犯罪が他国より多く、有罪だった137人の半数以上が死刑判決を受けて、特赦までに17人が執行された。永井准教授は、キリノ氏の決断は、米国の対日政策の転換▽大統領選前の賠償交渉▽自身の信念などによるものとみている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ1X34BRJ1XPTIL003.html?iref=comtop_pickup_02